鞄が重い

鞄、重くない?

肩こりとか頭痛とか、勉強には要らない。勿論、重たい鞄を持って頑張ることで学べることも有るのだろうけど、軽くてもいい、という選択肢だけは見てて欲しい。

・文具は手触りの良い物だけ残す。重いなら、少ない方が良い。

・鞄はなるべく軽くて小さい物を。学校指定、皮は止めて…好きだけど、重いわ。

・チャートを持ち歩くのは重い。参考書は学校で指定された物だけにしよう。補助教材も要らない。

・プリントは毎日捨てよう。持って帰った物は一度全部出して、要る物、要らない物、保留で分ける。

(ただ、まとめて持ってかないと困ることもあるのよね。アイデア募集…)

・持ち帰りたいものだけ持ち帰ろう。

電子書籍。しかし、紙の方が使いやすい。

・ノート。まとめると見返すのが大変、ルーズリーフだと自分は無くす。バインダーが高いので気軽に買えない。

・ルーズリーフ、百枚も要らない。小分けにして持ってって。

・図書室で本を借りるなら一冊ずつにしよう。頻繁に図書室に行けるから、出会いも広がる。

・持ち物リストを作ろう。面倒でも、曜日毎に作っておこう。そうしたら、だんだん量が落ち着いていく。

・持ち帰るときは、何時にこれを使うから必要、という理由まで考えて持ち帰ろう。

・辞書は電子辞書にしたいね。紙も好きだけど、登下校が…

・教科書、本当は破って持って行きたい。どうせ全部は使わないのだから、先生が単元毎にコピーしてくれたら良いのにね。そんな時間は無いか。

・部活の道具。うーん…いっそその分教科書とかの持ち帰りを減らすとか。自分の使える時間に合わせて持ち帰りの量を決めよう。

子どもと勉強

 私は、小さい時から殆ど毎日父に勉強を教えてもらっていた。当たり前の事とは思えないので、この体験を生かし、子どもの勉強への接し方に迷う方の判断材料になればと思い、この記事を書く。

 塾と親に勉強を見てもらうことを比較すると次のようである。

【塾】

〇受験に対する専門的な知識がある

〇たくさんのノウハウを生かし、(経験がある)、学生の受験までの具体的なスケジュールを提供してくれる

〇親の手間がかからない

×教材が増える

×お金がかかる

【親】

〇子どもの生活に関わることが出来る

〇子どもをじっくり観察し、習慣が伝えられる

×専門的な知識が無い。

×経験が無い

?「勉強」以外にも時間を割かせることが出来る(価値が一元的でない)

 

 さて、しばらく受験について考えてみる。

 受験に受かる人はどういう人かというと、入試で合格点以上を取った人である。では、どういう人が合格点を取りやすいかというと、もちろん絶対ではないが、それまでのテストでいい成績を取っている人である。

 例えば、○○大を志望して、例年その大学に(現役から)5人進学する高校にいるとする。そうすると、合格には大体定期試験で何番に入っていればいいか(つまり目標)が分かる。そのために必要な点数もわかる(先生に聞けば教えてくれる)。

 では、毎回のテストでいい点を取るという事は、テスト範囲に指定されている問題集の問題をミスなく解くことができるという事である。その点を見ると、最初からできる、出来ないというところに違いは無い。分からないところを放置しない、自分で分からないところをつぶしに行き、見事潰すことが出来た人がいい点を取る。

 それはつまり、勉強が好きということになるのではないか。

 私が想定しているモデルを並べると

大学に合格する←入試で合格点を取る←日頃のテストで相応の点を取る←指定されている範囲から相応の割合の問題が解ける←分からないところをつぶしに行く←勉強が好き

である。

 このうち、親にできると思うことは、

 分からないところを分かるようにしやすくする習慣を身につけさせる

ということである。ロケットで例えるとしたら、エンジンの効率を上げてやる工夫をするのである。

 しかし、どんなに効率のいいエンジンも、燃料を使うことを想定したものである。乱暴な言い方になるが、結局、大部分は本人のやる気にゆだねられると思う。(付言すると、合格するのはおそらくたくさん勉強した人であろう)

 エンジンの効率を上げる「良い習慣」について思うことは別の記事に書く。ここでは子どもの燃料についての悩み、つまり子どもが勉強しないという悩みを持っている方を念頭に、書いてみたい。

 好き嫌いはそれこそ本人次第と言えるかもしれない。しかし、親の立場で出来ることがもう一歩あるように思う。それは、子どもに勉強を好きになってもらう努力をすることである。

 勉強の良さは、例えば「分からないことが分かるようになる面白さ」であったり、「目標までの道中に身についてくる知識」であったり、「一歩一歩論を組み立てていく面白さ」であったり、ほかにもいろいろあるかもしれないが、つまり、「好奇心を満たす」ことと言うことが出来ると考えている。その好奇心を高めるのは、「知らないことと触れる」体験である。

 例えば、図書館に行った時の事。そこには様々な本が並んでいる。カエルの視覚の本であったり、哲学のプラグマティズムについての本であったり、ガウディの建築についての本であったり、八幡製鉄所についての本であったり、三段論法についての本であったり、量子力学についての本であったりする。

 図書館で過ごす時間が与えられる。その一冊を取って(どの一冊でもいい)気になったところを白いノートに書き写す。感じたこと、考えたことを付箋に書き取り、別のノートに張り付けておく。翌朝少し早起きをして、その付箋を眺め、更に別のノートに考えを書き、目次に加える。

 あくまで自分のことになってしまうが、この行為にワクワク感を抱いていたから、結局のこのこ大学院まで来てしまったのだと思う。なので、自分としては、親が子どもの勉強について考えるならば、「どうすれば子どもに勉強が好きになってもらえるか」を考え、何か行動することを勧めたい。

 具体的には、家のいたるところに様々なジャンルの本を置いて、いつでも読めるようにしておく。その際、「ストレスなく手に取れる環境を作る」ことが大事だと思う。

・借りるのにいちいち断らないといけない

・手にとっても読む机が無い(散らかっている)

・ジャンルが親の嗜好で偏っている

・あまりに敷居が高く一行も分からない

とかが、ストレスになるかと思う。

また、親の方にも続けるためのストレスにならないようにしたい。あまり高い本を買わなくても、今時本はアマゾンで一円から買えてしまう。また、買った本は自分でも読んで、自分も勉強を楽しんでしまえばいい。

 「勉強することが前提」の場の塾と違い、自分の子どもの「好奇心」を大事にする。生活環境に干渉し、一緒に「学び」を楽しむ。この辺が、親にしか出来ないことではないだろうか。

はじめに

 このブログは、「学ぶをテーマに、大人がブロック遊びをする場」である。

 私は24である。大学院生である。

 私の同年代の大半は目覚ましの音で起き、次々と仕事をこなし、夜まで身を粉にして働いているのかもしれない。人によっては夜泣きする子を日に日にあやしているかもしれない。

 私は働いてはいない。親がそのように働いた結果生かされている。つまり恩恵を受けるだけ受け、それを返していない「子ども大人」である。

 「子ども大人」なりに、時間がある。時間があればいくつかの事を考え、学ぶことができる。

 ここに私は、貰った時間で考えたり学んだことのいくつかを記すことにしたい。それをもって、今精いっぱい生きている方の一助となれば幸いである。